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2007年2月

2007/02/28

[obi] ちょっと前のやつ

* 兵棋演習!!一号生徒主席・八島の奇策が真清と二号生徒を追い詰める!!

* 名君の影と暗君の光!!

* 失われた過去が蘇ったとき、男たちの闘いは始まった!

* ついに燎源火は劉備三兄弟と出会う!

* 草加拓海vs.連合艦隊司令部「草加、日本を裏切るなよ」

* 始皇帝、中華統一への遙かな道。

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2007/02/14

[MOVIE] 「墨攻」雑感。

※2007/02/15AM 一部追記あり

 映画「墨攻」の雑感でございます。映画公開にあわせて増刷された原作コミック(それまで在庫切れ状態だった)を読み、予習をしてから鑑賞に臨みました。ちなみに原作の原作、酒見賢一の小説については、過去に読んでいるのですが内容を忘れています。なので無意識のうちに原作と比較してしまっている事をご了承下さい。

鑑賞後の感想は「なんだか釈然としない」でした。その「釈然としない」感がどこにあるのかをつらつらと。


  • 話の落としどころが見つからない。

     現代の戦争観や思想の枠組みを持ち込んだりといったことで、原作とは異なる話や主張になっていても、それはかまわないと思います。
    しかしその「異なる」方向をどこにもって行きたいのかが判らない。

     主人公の墨者 革離は、戦争のプロそれも守りのプロとして登場します。一兵卒の弓の技量を見抜いたり、即座に矢の改造を行ったりする能力はプロの技であり、権力者におもねる事もなく、待遇の悪さに不平を言うこともなく、ただ淡々とプロとして仕事をこなして行きます。
     なのに物語中盤では、自分の戦略で殺してしまった敵兵の事を考えてウダウダ落ち込んでみたり、挙句の果てには「守城の経験はない」と言い切ってしまったりします。

     原作のように、戦争のプロである墨者として卓越した技能の持ち主であり、目的のためには味方を切り捨てるほど非情になれる革離を描きたいのか、原作と反して戦争に疑問を抱いて悩み苦しむ弱さを持った革離を描きたいのか、どちらにしても表現が中途半端です。その悩みが、墨家の思想やあり方への疑いから、人が人を殺すということや戦争ということ全体への疑問にいたる悩みのように観えればよかったのでしょうが、それらのシーンにヒロインが無駄にからんでくるので話がグダグダになってしまいます。革離を演じる劉徳華の演技には問題がないのでしょうが、キャラクターとしての革離がはっきりと見えてこないのです。

     もしかすると、プロとして非情ではあるが人間的な弱さもあるという二面性をもつキャラクターとして描きたかったのかもしれませんが、それがスクリーンからは伝わってきません。

     いきなり話が変わりますが、李連杰が演じた黄飛鴻。彼が黄飛鴻として敵と相対したときに、さっと裾を正して余裕の笑顔で「かかってこい」と手招きするように構えを取る。ただそれだけの一瞬の演技で李連杰演じる黄飛鴻の武徳の高さと計り知れない強さが、観る者に伝わってきます。しかし、この映画にはそれがないのです。そのため革離というキャラクターを充分に理解させ納得させる事が出来ないままに話は終わってしまい、観る者に話の方向性を見失わせてしまいます。

  • 主人公以外のキャラクターもはっきりしない。

     ヒロインである女将軍 逸悦も謎です。革離のどういうところに惹かれたのかの描写もない上に、行動は唐突だし(特に求愛w)、戦の最中に人の死に動揺したりして軍人としても失格。映画を見る限り、革離にではなく劉徳華だから惚れたんじゃないかとしか思いようのない描かれ方でした。何でも「愛」で解決すると思うな、というかヒロインの愛とは脱ぐことですか?

     主人公のライバルである趙の将軍 巷淹中。彼についてもライバルとしての存在の大きさや強さが、兵を沢山従えている事以外に見当たらない。「これは負けるかも知れんね」と思わせるほど何かが欠けている。趙の圧倒的物量作戦+名将の的確な采配に、味方の少ない革離がどのように梁という小さな城郭を守り抜くかがこの映画のキモのはずなのに、ライバルに威圧感も圧倒感も感じられないし、名将らしさや戦略家としての表現が欠けているのはどうかと思う。

     梁王のキャラクターもはっきりしないなと思いつつ観ていましたが、巷淹中の死ぬ様を眺めてニヤリと笑う演技を観て、背筋がぞっとすると同時に「こういう人物なのだ」と得心が行きました。この映画の中で唯一印象に残る演技でした。ただ、それが物語の中に生かされていない。権力使ってネチネチ革離の邪魔したりしてくれないと。

  • おまけ

     呉奇隆の演じた弓兵長 子団の凛々しさかっこよさはガチ。

     墨家集団の方針に逆らってまで梁にやって来た革離の行動の理由は映画では描かれません。墨家は、諸子百家といわれた戦国時代の中国の他の思想家集団同様に、政治的な存在だったんじゃないかと思います。儒家しかり法家しかり、思想や宗教のような側面よりも政治的なものがその思想の大部分を占めています。それは当然の事で、どこかの国に仕官するためにその思想を主張しているのですから。なので「諸子百家=政治的側面をもつ」という知識を持つ観客には、仕官するそぶりも見せない革離に、「あぁ政治的意図ではなくボランティア精神で来たのね。そして多分墨家でも異端なのね。」と了解できるだろうが、そういう知識も了解もない観客には「革離は何故梁に来たんだ?」といきなり訳のわからない状態から映画を見始めなければならない。これは万人向けの映画としてはマイナスなのではなかろうか。パンフレットで、墨家の「兼愛」を強調してみたり、反戦をテーマにしたインタビューを掲載してみたりしていたので、献身的なボランティア風の墨家のイメージを意図的に作ろうとしているのかも知れない。しかしなんだか違和感を感じる。

     復讐の虚しさや人が人を殺すことについてというテーマを描くのであれば、同じ劉徳華の「マッスルモンク」の方が説得力があるんじゃないか?マッスルでストリップな導入部でつかみはOKだし、ヒロインは無情にも死んじゃうしと、話の起伏にも富んでいて飽きさせないし。ラストのマッスルモンクのマッチョな後姿が語るものは、この映画よりもはるかに大きい。

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2007/02/01

[DR] 使ってみたい武器は?

NECO「武侠ドラマ23」お知らせBlogをチェックしていたら,こんな話題がありました.
そういや,武侠小説や映画には色々な武器が出てきますよね.いわゆる「武芸十八般」とされている武器以外にも,文章だけでは見当の付かない武器が.

例えば碧血剣の黄真が使う銅筆鉄算盤.何故筆と算盤?ただの鉄の棒なんかでもいいんじゃねーの?などと思っていた時期が私にもありました.武器に見えないということでカモフラージュできたり,鉄算盤をはじくことで指先を鍛えたりと,実用的な意味もあったのでしょうか.

扇子は,日本でも鉄扇が武器として存在するようですし,何より今習っているところです.払子も,昨年の上海国際武術博覧会で演武を拝見しましたが,演者の颯爽とした風貌とあいまってかなりかっこいいものでした.これは使ってみたい武器の1つですね.かなり難しそうですけれど.

小龍女の絹布は,映像化された作品を見ると流星錘のような使い方をしているようにみえます.ただ絹布の方が舞のような優雅さをかもし出して見ていて美しいですね,でも私には似合いません,これは断言できます.

ほかに珍しい武器で,演武を見たものとしては,匕首峨嵋刺なども,かなりトリッキーな動作を伴うので見ているだけでも面白い.けれど,暗器として用いられるものの套路は単純ではないことが多いようなので,使えるようになるにはかなりの修行が必要になると思われます,私の場合.

自分で使っていて(いや練習ですよ練習)楽しいのは,扇子でして,どちらも力強い動作を伴うものです.同じ扇子の套路でも優雅な動作のものはちょっと苦手です.(もちろん練習足りてないからです.)
けれど使ってみたい,使えるように上手くなりたいのは,なんといってもです.「百兵の君」と称される武器ですし,ほとんどの武侠小説でヒーロー・ヒロインが持っている武器は剣じゃないですか.ドラマのようにひらりひらりと身をかわして鋭く剣で切り込み点穴する..そんな風に使ってみたいものです.でも基本動作である「点剣」すらおぼつかないようでは,道のりは遠いよな.

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